Brexit の闇 ①
こんにちは
あと3日で期末試験を迎えるだいこん(仮)です。
この試験がなかなか厄介で、テスト範囲というものがありません。
しかも科目名は「イギリス政治」。。
この混とんとしているイギリス政治について日本人が回答してきます。
イギリス政治といえば、先日メイ首相が辞任を表明しました。
イギリスのEU離脱問題(Brexit)の議論を見ていると気の毒だなと感じるのですが、、
とはいえ、なぜここまでEUからの離脱に手間がかかっているのでしょうか。
これにはイギリスの長い歴史が影響しています。
というわけで、Brexit問題について見ていきたいと思います。
ただ長くなるので、今回はEU離脱問題に至るまでにします。
議会主権
イギリスの正式名称「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」というややこしい名前が示すように、
イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つが
複雑な関係を保った国です。
ただ、こんなこというと怒られそうですが、最も重要なのはイングランド。
ざっくりいうと、このイングランドがどんどん拡大したら、
「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」になったということになります。
そのうち最も重要なのが、議会主権です。
どういう原則かというと、
「議会で決めたものは、どんなものでも法律だ!」というものです。
議会で定められた法律を裁判所は逆らわずに適用します。
たとえば、議会で「だいこん(仮)を国外追放する法律」が通れば、僕は追放されます。裁判所も僕を守ってくれません。
そして、矛盾する法律があるときは、後に制定されたものを優先します。
「だいこん(仮)を刑務所に収容する法律」がその5分後に制定されると、
国外追放と矛盾するので、刑務所行きの法律が優先し、僕は刑務所に行きます。
この原則がイギリス憲法の軸となっていました。
EC加盟
このような独特な、考えようによっては恐ろしい原則を残したまま帝国を築き上げたイギリスでしたが、戦後に転機が訪れます。
それが欧州の統合の流れです。
第二次世界大戦後、ボロボロになった西ヨーロッパで経済分野での統合、
そして政治における統合が進みます。
そんななかイギリスは、
「我々はヨーロッパとはちがうんだ!!」
ということで、距離を取り続けます。
しかしながら、70年代になるとイギリスの凋落があらわになります。
そしてついに1973年にECに加盟します。
議会主権??
経済的に苦しくなって加盟したECですが、
実はイギリスの憲法原則に大きな修正をくわえることになります。
当然ですが、ECに加盟することで、ECで決定したことを履行することがイギリスにも求められるようになります。
ただ、ECで決めたことを毎回、毎回イギリスの議会で法律にすると手間がかかるので、
「ECで決めたことを国内でそのまま適用する法律」
をつくりました。
ここで問題が生じます。
先ほど書いたように
「議会で決めたものは、どんなものでも法律だ!」というのがイギリスです。
「じゃあ、ECの決定に反することを法律で定めたらどうなるの?」
という問題が出てきます。
その点を扱ったのが、「Factortame 事件」です。
イギリスが領海内での他国船による漁業を規制したのですが、これがECの原則に反していました。
「おい、イギリスよ、それはあかんやろ」と感じると思いますが、
ただ、漁業を規制する法律のほうが後に制定されているのです。
議会主権の原則からは、矛盾する法律は後に制定されたものが優先します。
なので、原則からは漁業規制法が優先するはずです。
一方で、あとに制定された法律を優先するとECなんて意味がありません。
この事件で裁判所は、議会が制定した漁業規制法を適用しないという判断を下しました。
つまり、議会で決めたことが何でも法律だというわけにはいかなくなりました。
長い歴史のある議会主権に
「EC・EUの決定に反しない限り」という条件が加わったのです。
「なんだ、それだけか」と感じるかもしれませんが、
政治家からすると、権限をECに渡したつもりが裁判所にまで取られたという結果を生むことになったのです。
これがEU離脱派がよく言う
「主権を取り戻す!!!」
という主張につながりました。
つかれたので、ここまでにします。。
次回は、90年代にトニー・ブレアという首相が余計にBrexitをややこしくしたということについて書きたいと思います。
では、テスト勉強します。