匿名で表現する自由はあるのか
こんにちは、だいこん(仮)です。
この寮の冷蔵庫は冷却の強度を調整できるのですが、興味本位で強度マックスにしたらサラダが凍り付きました。シャリシャリしました。とくにドレッシングが一部凍ったのでつらかったですね。
今回読み終わった本
さて、ついに先週末くらいから読み始めた本が読み終わりました。集中力がどこかに行ってしまっているので時間がかかりました(イギリス政治の試験前なんか3日で700ページの本読みましたからね)。
今回読み終えた本がコチラ!
Anonymous Speech: Literature, Law and Politics (English Edition)
この本の一部だけを授業で扱ったのですが、面白そうだったので買ってみました。170ページくらいの薄い本ですが、イギリスで言論の自由がどのように考えられているのかがざっくりと分かります。(以下ではこの本のことをBarendt と記します。)
言論の自由とは
この本は、匿名もしくはペンネームとかで言論の自由が認められるのかということについて議論しています。しかし、そもそも言論の自由とは何でしょうか。
日本の場合、憲法21条が表現の自由を保障していますよね。アメリカでは合衆国憲法修正第一条が保障しています。
しかし、この本はイギリスについての本です。イギリスといえば、憲法らしい憲法がありません。たとえば、「the の使用を禁止する法律」が議会を通って成立した場合、本当にthe が使えなくなります。裁判所にいってもどうにもなりません(正確には欧州人権条約との関係上、そんなことできないと思います)。これが日本やアメリカの場合、裁判所がこのような法律を違憲と判断して無効とするはずです。
ということで、Barendtはイギリスでの言論の自由を以下のように書いています。
the general treatment in English law of freedom of speech, where it has usually been regarded as a liberty, rather than a right: it exists only where the law does not restrict its exercise. (p. 81)
要するにイギリスにおいて言論の自由は、法律で規制されたらどうしようもないよっていうくらいのものです。このスタンスが僕にはすごく危険に見えるのですが、それでも独裁者が出てこないというのがイギリスのすごいところですね。*1
匿名のなにが問題か
さて、Barendtでは数百年前の匿名やペンネームで出版された本がどのような経緯で出版されたのかや、匿名での出版に批判的な人の議論を紹介していきます。
そして、議論は現代の法的な問題に突入します。
それがMcIIntyre v Ohio Election Commission です(いや、アメリカの判例やん)。
オハイオ州で住民投票が行われる予定であったのですが、このオハイオ州の法律で、住民投票に関係するパンフレット等を配布する際には、発行者の名前と住所を記すように求めていました。しかし、このマッキンタイアさんは、「心配する親たちと納税者たち」という名前で政治的なパンフレットを発行して配布しました。明らかに州法に違反していたので裁判になったわけですが、マッキンタイアさんは「州法が憲法が保障する表現の自由を侵害している」として争います。
そして、結果的に最高裁はマッキンタイアさんの主張をみとめ、オハイオ州法を違憲としました。その理由として、匿名でなら少数意見を言いやすいことや、表現内容を個人が自由に決めていいのであれば、名前を出すかどうかも自由なはずだということが挙げられています。
この判決には反対意見もあり、オハイオ州法は表現の自由という文脈よりもむしろ公正な選挙を守るための法であり、名前を出すことで、選挙に関する議論が活発になるということをあげています。
この事件で問題なのは、マッキンタイアさん一人でパンフレットをつくっているのに、あたかも「心配する親たちと納税者たち」という複数の人が集まったグループでの意見かのように見せているということがあります。
また、この事件では問題になりませんが、名誉を毀損するような内容を匿名で出版した場合、誰をあいてに訴訟を起こせばいいのかがわからないという問題もあります。
背景にある考え?
さて、このマッキンタイアさんの事件でなぜ意見が割れたのでしょうか。ここで書くことは本にはなかった議論ですが、おそらくどのような民主主義を想像しているかという点が関連しているように思われます。
たとえば、多数意見の匿名で選挙関連のパンフレットを発行することが自由だとする意見。これは、すべての人々が文章の内容から、その正確性や妥当性を判断することのできる能力を持っており、またそのために必要な時間もあるという風に考えていると思われます。そして、匿名でなされた意見に対しては、匿名であることを割り引いて判断できるだろうという前提があります。
一方で、州法は合憲であると考える少数意見では、すべての人がそんなことできるわけではないという考えに基づいています。これは決して変な意見ではなく、Barendt の多数意見に対する主な批判は、「大体の人は、『だれが』その意見を言ったかによって態度を変えるでしょ」というものです。なので、マッキンタイアさんが言ってるだけなら、ちゃんとそう言えよってことですね。
個人的に、匿名というよりも、ありもしない団体をでっちあげて権威がある意見のようにふるまっているというところが怖いなと思うのですが、それまでも多数意見のように表現内容の自由として保証するのはどうなのかと思います。
インターネットの時代へ
この匿名での表現の自由に関する議論が活発になった背景には明らかにインターネット、とくにSNSの普及があります。
もちろん国によって異なりますが、ヨーロッパでのケースとしてDelfi AS v Estonia が挙げられています。このケースでは、ニュースサイトを運営しているDelfiという会社のウェブサイトにはニュースの下にコメント欄があるそうなのですが、そこに大量に投稿された名誉毀損的なコメントの責任をサイト運営者が負うのかどうかを争いました。
たしかに、名誉を毀損するような内容を投稿した相手に賠償を請求できればいいのですが、数が多いうえに全員匿名という性質上、現実的ではありません。なので、サイト運営者を相手にしたのですね。
ここで問題になるのが、chilling effectと呼ばれるものです。サイト運営者としては、このような自ら投稿したわけでもないコメントの責任を負わされるくらいなら、コメント欄を取り除くほうが楽です。そうすると、どこのサイトからも匿名でのコメントをする機能が除去されていく可能性があります。
よくコメントができるサイトに「通報」っていうボタンがありますよね。これを使って、「通報」があったのに何もしなければ、サイト側に責任が生じるという形をとればいいという意見があります。しかし、これも同様にChilling effectが懸念されます。というのも、サイト運営者は変なリスクは避けたいはずなので、「通報」があったらとにかく除去するという行動を引き起こしかねないからです。
まとめ
Barendtにあった論点をいくつか書いてみました。先日、保守党のボリス・ジョンソンがBrexitの国民投票の際、虚偽の主張をしていたということが問題になっていました。イギリスがEUに対して支払っている金銭に関して、「イギリスは毎週約480億円支払っている」というメッセージが書かれた選挙用のトラックに乗って、選挙活動をしていたようですが、実際にEUへ支払っている金額はこれよりはるかに小さいらしいです。
仮にこういう主張をしている匿名のポスターがまちにあったらどうでしょうか。僕は無視する気がしますが、確かにそのような主張をする人には説明責任があるという風にも言えるのかもしれません。難しいですね。
帰国でバタバタしますので、次回は木曜日あたりに書けたらなと思います!