いんてりっぽくなりたいブログ

いんてりっぽくなりたい筆者がそれなりに頑張るブログです。

政治か法律か

 

こんにちは、だいこん(仮)です。

最近の記事が「いんてり」っぽさからかけ離れているので、今日は少し頑張ります。

 

今日は最近読んだ本を紹介したいと思います。

 


Trials of the State: Law and the Decline of Politics (English Edition)

 

今年出た本なので日本語はまだないようです。

Lord Janathan Sumption という最高裁判所の裁判官だった人が書いた本です。

授業でこの著者について説明があったのですが、どうやら一瞬で最高裁の裁判官に任命された天才だそうです。しかも歴史についての著作もあるという。

 

この本の主張はシンプルです。

タイトルにもあるように、「法律の地位が上がってきていて」、その結果として裁判官の地位が重要さを増しいているということです。

 

Sumption は、始めにこんな指摘をします。

'What is new is the growing tendency for law to regulate human choices even in cases where they do no harm to others and there is no consensus about their morality'.*1

別にだれかに害があるわけでもないのに、しかもその道徳的な判断について一致があるわけでもないのに、法律で縛ってしまう事柄が増えているということです。

 

たとえとして出てくるのが多くのヨーロッパ諸国で成立している、動物の毛皮の使用を禁止する法律です。

人間からすると特に害を与えるわけでもなく、個人の良心に委ねられてきたような問題ですが、立法されると人々はそれに従う必要があります。

結果として、国民の行動が一致してくるわけです。

 

他の例として、行政が責任を負わさせられたときというのがあります。

そして、損害賠償を求められるわけですが、同じようなことを繰り返さないために何らかの措置をとることがあります。

しかし、この場合にとられる措置は、実は国民の自由を制限しているかもしれません。

 

たとえば、公園に危険なように見える滑り台があるとします。

この滑り台から転落した子供が負傷しました。その子の両親は行政の責任を問います。こんな危険な滑り台を設置する方が悪いと。

こうなると、行政の責任を認めた場合、この滑り台は撤去されるでしょう。

多くのひと、ちゃんと滑り台の使い方を理解している人たちの自由が制限されます。

裁判所はこのような判断を求められる場面があります。

 

このように法律・裁判所がカバーする範囲が広がっています。

 

一方で、政治の方が委縮しています。

イギリスでは、ご存じのように2016年にEUに残留するかに関して国民投票が実施されました。

日本でも、何かあるとすぐに国民投票をすべきだというコメントがヤフーニュースのコメント欄に現れますが、政治は妥協の場です。

'It [Referendum] takes decision-making out of the hands of politicians, whose interest is generally to accommodate the widest range of opinion, and places it in the hands of individual electors, who have no reason to consider any opinion but their own'.*2

政治家とは、基本的にできるだけ多くの国民の意見を反映させようとします。選挙があるわけですから、より多くのひとが(その人にとって最善でないとしても)受け入れることができる決定をしようとします。

一方で、国民投票になると、国民は自分の意見を表明することにしか興味がありません。国民投票は妥協の場をなくして、代わりに意見を衝突させます。

ということで、国民投票は政治の役割を奪います。

 

加えて、それは政治で解決したほうがいいのではないかというような事柄が裁判所に持ち込まれます。

いい例が思いつかないので、思いついたら書き足そうと思います(笑)。

とりあえずSumptionはこう書いています。

'We ought to ask whether litigation is really the right way to resolve differences of opinion about what are really questions of policy'.*3

 

こうした政治の役割が小さくなっている背景に政治家に対する不信感があると指摘されています。政治家にまともな人間がいないから、政治的な課題も裁判所に解決を求めるようになるということです。裁判官の方が政治家より信頼できるということです。

 

しかし、Sumptionはこう指摘します。

'judicial decisions on issues like these are not necessarily wiser or morally superior to the judgement of the legislature even if they are made by a more transparent procedure'.*4

しっかり政治が機能する必要があるということです。

 

そして最終的にSumptionはこう主張しています。

'I have argued that a stable democracy requires a minimum level of public engagement with the political process'.*5

政治にあまり頻繁に国民が関与するべきではないという主張です。

これは一見すると危険な主張で、エリート中心の発想に見えます。しかし、これまでの内容からわかるように、政治という様々な主張の妥協点を見つける場に、自らの利益だけを考えていればいい一般個人を関与させすぎると対立を生むだけです。

そして、政治家を信頼せずに、政治的な課題についても法律・裁判所に解決を求めるというような構造になってしまいます。けれども、'The law simply has no solution to the problem of majoritarian tyranny' *6、でなにも解決しません。

 

Brexit でどうしようもなくなったイギリスですが、政治はどこまで妥協できるのでしょうか。

 

 

 

 

 

さぁ、ここまで書きましたが、本を読んだのが1か月以上前なので少し不安です。

もし英語を勉強しようと思っていて、政治・法律について興味がありましたら、ぜひこの本を読んでみてください。100ページほどの本なので、それほどしんどくないと思います。もともとBBCで放送された内容のようなので、とても分かりやすくなっています。

そして、僕の間違いを指摘してください(笑)。

 

*1:p.12

*2:p. 30

*3:p.39

*4:p.87

*5:p.102

*6:p.91