いんてりっぽくなりたいブログ

いんてりっぽくなりたい筆者がそれなりに頑張るブログです。

無意識の活用?

 

 

こんにちは、だいこん(仮)です。

毎日更新が途絶えてしまいそうですが、午前中に更新した場合は、その前日に更新したものとみなすことにしましょう。

 

さて、毎日記事を書けない理由はシンプルで、ネタ切れです。ですが、とりあえずブログの趣旨的に、いんてりっぽい本を紹介してみようと思います。

そして、今日はコレ。

 

 最近買ってきた本です。手元にあるやつはハードカバーなので、少し違う部分があるかもしれません。

 

どういう本かといいますと、僕らのイメージする「民主主義」というものは、だいたいみんなが集まって、話し合いをして物事を決定していくといったものだと思います。しかし、この本では、「いや、この現代社会ではそんなことしなくてもいいんじゃないか」、「少なくともほかの手段も使えるのでは」という話をしていきます。

まず、タイトルにもなっている「一般意思」ですが、これはご存知のようにルソーの「社会契約論」に出てくる概念です(この一般意思という概念は、公法を勉強しているとたまに顔を出すのですが、未だに理解に至っていません)。とりあえず、僕の理解では、社会契約とは自然状態にある人間同士が、コミュニティをつくる契約であり、この段階では政府は出てきません。このコミュニティに「一般意思」なるものがり、これを実現することが政府の役割となるようです。

 

まぁ、よくわかっていませんが続けましょう。

この本の主張は、ネット上に転がっている人々の「無意識」を活用してはどうかということです。僕たちはインターネットなしでは生きていけないような体になってしまったわけですが、このインターネットを使うことで、僕たちの活動に関するデータが蓄積されていきます。

たとえば、Google Map。Googleはユーザーの位置情報を集めることで、どこが渋滞しているのかを把握することができます。こうした情報を政策形成に利用できないのかということです。つまり、この例では、交通量に関して人々が無意識に提供しているデータを利用して把握し、次に建設すべき道路を決定してはどうかということです。少なくとも、交通量に関するデータを可視化することで、無駄な道路建設が政治家の力によって進められることを抑止できるのではないか、そういうことが書かれています。(pp. 162-3)

 

すこし怖いような気もしますが、僕たちは日常的にデータを提供しています。Spotifyの場合、この曲が好みのひとは、こっちの曲も好きな傾向にあるということを把握して、プレイリストを作ってくれます。自分でも分かっていない音楽の好みを、大量のデータから予測するのです(逆にいうと、僕がエド・シーランの新しいアルバムを聴きながら、15年前のMuseのアルバムを聴いていることがデータとして残されてます)。

 

こうした無意識の集合こそが「一般意思」だということです。

この部分が僕にはよくわかりません。結局、個人の特殊意志の総和とされる「全体意思」では?と思うのですが。

 

なにを言っているんだと思われる方もいると思います。政治は熟議が大切なんだというのも、それはそうでしょう。

けれども、何年に一回か選挙で投票して主権を行使したつもりになるよりも(そもそもこの段階で有権者の半数程度しか参加していない)、どこかに蓄積されているデータを活用してもらったほうが、より僕たちの望んでいるものが実現しそうな気がしませんか。

 

というわけで、本の紹介でした。「一般意思」が結局なになのかよくわからないことを除いて非常にわかりやすい本ですので、ぜひ読んでみてください。