ヨーロッパ的なものを求めて
こんにちは、だいこん(仮)です。
どんよりとした曇り空を見て、今日もイギリスらしいいい日だと感じるようになってきました。
さて、イギリスは、よくヨーロッパと少し違うと言われます。
実際にイギリス人もそのように感じているようで(EUから離脱しますし)、第二次世界大戦後の秩序再建においても欧州との接近よりも、アメリカへの従属との協力を選択します。
ある意味、日本に似ています。
どうしてこうなったのでしょうか。
あえて同じ島国である日本と似ているところを書いてみましょう。
まず、方言がひどいです。ようやくヨークシャーの言葉に慣れてきましたが、先生曰く、イギリス人同士でもわかりにくいそうです。
つぎに、独自の宗教があります。イギリス国教会のトップは、女王ですからね。
そして、車は左側を走ります。
一方で、ヨーロッパ的なものを感じるときもあります。
それが適当な言葉ではありませんが、「権威」というものが出てくるときです。
たとえば、イギリス議会の写真を見てみましょう。
これは貴族院での議会の開会の際に行われた女王のスピーチのようです。
下の写真は、議長でなくなってしまいましたが、前議長の人の写真です。
これもおそらく女王のスピーチの日の写真です。
なるほどって感じですね。
権威というものを感じます。
こうした権威的なものを大切にする傾向がときに僕を苦しめます。
イギリスの憲法における最も重要な文献が一つありまして、A.V.Diceyという人が書いた、Introduction of the Study of the Law of the Constitution という本です(of が多いねん)。
この本を参照することなく課題に取り組もうものなら、授業で瞬殺されます。
というのも、まず「Dicey はどういってるの?」から始まるからです。
ですので、最近この本を購入したのですが、初版はなんと1885年に出ています!
僕の手元にあるのは、Diceyが自ら著した最後の版で、1915年のものになります。
そう、100年以上前の文献をたよりにしないと、憲法の話ができないんです。
たしかに歴史的な連続性がイギリス憲法の特徴といわれています。たとえば、世界史で学んだ1688年のBill of Rights (権利章典)とかは未だに重要な法律です。
それにしても、歴史的な連続性が大切だからといっても、100年以上前に書かれた憲法の教科書を参照し続ける理由にはなりません。
結局、この文献がある種の「権威」を得たというのが、現在まで使われる理由だと思います。
ただ、いくら権威がある文献だからと言っても、さすがに古すぎるだろうというのが、正直なところです。
たとえば最近の授業で議会主権の範囲・定義を扱いました。
Diceyは第1章の初めのほうに、議会が法律として制定したものは何でも法律で、議会が定める法律が絶対的だという立場を示しています。
よく出てくる例として、「青い目の赤ちゃんは全員処刑」ていう法律を定めたら、その通りに執行されるというものです。
実際に、首相の解散権を制限する法律があっても、それを回避するための立法があれば議会を解散することができるので、この立場は依然として維持されています。
wannabeintelligent.hatenablog.com
一方で、授業の中では、Jonathan Sumption という最高裁判所の裁判官をしていた人の議会主権の理解というものがでてきました。それが次のようなものです。
議会は法的には何でもすることができるけど、政治的な制限を受ける。というものです。つまり、法的にはスコットランド議会を廃止することも可能だけれども、そんなことするとスコットランドが荒れるので、政治的にできませんという見解です。
たしかにこの見解がその通りだと思うのですが、僕にはこれがDicey の限界を示しているように見えてしまします。
というのも、Dicey が生きていたころのイギリスでは、普通選挙はまだ実現していません。そして、貴族院ももっと権限を有していたころの話です。つまり、Dicey は民主主義的な要素、政治的な可否について考慮する必要がそれほどなかったわけです。
そう考えると、Sumptionの議会主権の理解は、Dicey の伝統的な考えに民主主義の要素が加わっただけと言えるように思います。
結局、Dicey は古すぎて、現在の議論にはそのまま使えないと言えるように思います。
このように、権威というのはよくわからないですが、一度手に入れると新たな「権威」的な著作が出てくるまで君臨し続けるようです。
まぁ、英語が読みにくいってのが僕にとっての最大の難点なんですけどね。